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私たち"やのまん"について

こんにちは、株式会社やのまんです。この度は我々のnoteをご覧いただきましてありがとうございます。多くの方が我々のことを知らないと思いますのでこの場を借りて簡単にご案内したいと思います。

はじめに


やのまんの"やまのん"

我々は創業から半世紀以上生き延びている会社なのですが、特に凄いノウハウがあるわけでもないので、その場その場を一生懸命頑張ってきただけのような気がします。しかし、ジグソーパズルは知っているけど”やのまん”は知らないという方が多くいらっしゃると思うので、少しでも知ってもらいたくてnoteを始めることにしました。
ちなみに我々が作ったキャラクター"やまのん"はオーストラリアのクォッカワラビーという可愛らしい動物をモチーフにしています。実は当社を検索する時に「やまのん」って検索する方が結構いらっしゃるのです。でも、google先生は当社へ連れてきてくれるのです。いい時代ですね。

1954 – 1972年 やのまん創業-輸出から輸入へ

創業時のやのまん、中央が創業者の矢野満(やのまん)

我々が大阪市で創業したのが、1954年です。
当初はアメリカや中東へ日本の雑貨を輸出していました。その後、おもちゃの輸出を始め1960年に本社を東京都墨田区に移しています。

1960年竣工(東京本社/現在は台東区蔵前へ移転)

その後ニクソンショックからの世界経済の混乱を受け、我々も輸出から輸入へ軸足を移し、当時ヨーロッパで製造されていたミニカーに注目して、輸入販売を開始しました。それは高額な大人向けおもちゃとして大ヒット!ところが、TOMY(現在の株式会社タカラトミー)が国産ミニカーを発売すると、身近な国産車且つ低価格だったこともあり、人気を奪われ、我々は新たな"遊び"を探さなくてはならなくなりました。

やのまん本社に展示されている当時のミニカー

1973 – 1974年 ジグソーパズルは「モナリザ」から

日本で初めて販売されたジグソーパズル

1973年に我々に大きな転機が訪れます。外国映画の中で俳優たちが優雅にジグソーパズルを組むシーンにヒントを得て、これを日本でも実現しようと輸入を開始しました。創業者 矢野 満(やの みつる)の発想と行動力には驚かされます。ちなみに社名の「やのまん」は彼の子供の時のニックネームをそのまま付けたものです。結構気に入っていたんですね。
国内では、翌年1974年春の「モナリザ」公開(上野・東京国立博物館)に先駆けて、モナリザブームが到来。当時はポスターやポストカードなどがなく、我々がドイツから輸入した750ピースの「モナリザ」のジグソーパズルが大ブレイクしました。しかし、その後が続かず、ヨーロッパの風景を中心とした輸入ジグソーパズルは、当時の日本人の嗜好に合わず、販売が低迷しました。

家族でジグソーパズル!

そこで、ミニカーでの経験も踏まえ、全社をあげて純国産ジグソーパズルの開発に取り組みました。ちょうど高度成長期で日本の技術力が向上していた時期だけに、輸入から1年後には工場を建設することが出来、日本で初めてのジグソーパズルを完成させました。
最初の絵柄は、日本人に親しみやすい「富士山」「金閣寺」「銀閣寺」「姫路城」「SLD-51(縦・横柄2種類)」などで、我々オリジナルのジグソーパズルは徐々に人々の関心を引くようになってきました。

1975 – 1984年 ホームラン王も夢中に!

1987年発売し大ヒット!「恋人たちのパリ」1000ピース

モナリザブームや純国産のジグソーパズル販売で、ある程度の人気を得られたものの、日本におけるジグソーパズルの認知度はまだまだ低いものでした。
初めて買われたお客様からは「何で紙屑を売るんだ」というクレームをいただいたり、会社説明をするにしても一苦労でした。我々はなんとか多くの人にジグソーパズルの楽しさを知ってもらおうと、製品の充実を図るとともに、お客様へのサービスにも力を入れ、紛失ピースの提供を世界で初めて取り入れました。
そんな中、追い風も吹いてきました。当時のテレビドラマ「離婚ともだち」の中で主演の大原麗子さんがジグソーパズルをしたり、ホームランの世界記録を狙う王貞治選手が集中力の鍛錬によいとジグソーパズルをしていることが報道されると人気が一気に急上昇し、ジグソーパズルブーム到来のきっかけとなりました。いつの時代もインフルエンサーというのはいるものです。

1985年 – 2000年 誰でも楽しめるジグソーパズルを文化へ

ブームが到来すると、我々は特殊な工具も要らず、テクニックも要らない、誰もが楽しむことができるというジグソーパズルの特性をさらにつきつめ、バラエティに富んだジグソーパズルを次々に開発、提供していきました。子どもたちに人気のキャラクターから日本の風景写真、著名イラストレーターによる作品など豊富な絵柄や、難易度の低いものから高いものまで揃え、現在へつながる安定した人気を幅広い層から獲得しました。

2001年 – 更なる“新しい遊び”の創造に挑戦

当時のトレーディングカードゲームラインナップ(現在は販売終了)

ジグソーパズルブームのさなかにも、我々は常に新しい遊びを模索を続けていました。ゲーム事業にも進出。テレビゲーム(GBのアレサとかPSのランナバウトなど)やトレーディングカードゲーム(妖怪伝[1997年7月]、ゴジラ怪獣大戦[1998年6月]、指輪物語[1997年11月]、三国志-赤壁大戦-[1999年7月]、レイフィールド[2000年3月])を発売しました。現在もトレーディングカードサプライ(スリーブなど)は未だに大人気で有難いです。もちろん、ジグソーパズルにも付加価値をプラスし、多彩なパネル(フレーム)を揃えるなど、完成後のインテリアとしての機能を充実させてきました。

世界初の3D球体パズルは「地球儀」から

2003年には長年アイデアを温めていた全く新しいジグソーパズルである、球形の中は完全な空洞になっている「3D球体パズル」を発売し、「地球儀がパズルになってるぅ!」と多くの方が驚き、遊んで頂きました。
その「3D球体パズル」の大ヒットを受けてその年、本社を現在の台東区蔵前へ移しました。

おわりに

これからも多くの方が楽しんでもらえるような商品を作っていきたいと思います。
また、商品だけではなく、会社のことも知ってもらいたくてnoteを始めました。拙い文章で見苦しい点もあるかと思いますが、それも含めて楽しんでいただけると幸いです。

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